映画 ドラえもん のび太の月面探査記

 映画 ドラえもん のび太の月面探査記 見ました。
 小説版も読みました。

 以下ネタバレ感想です。

 
ドラえもん のび太の月面探査記」
 今回の作品は、月に打ち上げた衛星「ナヨタケ」が白い影をとらえたところから始まる。
 のび太はそれは「月の兎だ!」と指摘するが、クラスメイト達は大笑い。悔しくてドラえもんに泣きつくがドラえもんも大笑い。
 のび太は言う「そうやって教えてもらったのに、いつからいないことになったのさ」
 もっともな台詞だなと私は感じた。
 月の兎だけではない。サンタクロースだってそうだ。幼い頃はいい子にしていれば夜のうちにサンタクロースがプレゼントを持ってきてくれると教えてもらったのに、いつからか笑われるようになってしまった。子どもが信じているのは良いが、大人になっても言っているのは馬鹿だ、と。
 のび太のように疑問を持たず、そうだよね、いるわけないよね、とスルスルと受け入れ大人になったと思ってしまった自分を思うと恥ずかしい。それは大人になったのではない。笑われないようにわかった気になっただけだ。
 しょっぱなから、ぐいぐいと自分の手放してしまったものたちに胸が苦しくなる。

 今作のキーパーソンである「月野ルカ」。
 彼はかぐや星の科学者により作られた宇宙に11人しかいない種族エステル。エステルはエーテルという特殊な能力と、子どもの容姿で成長を止め永遠の命を持つ生命体。彼らの能力が兵器利用されかぐや星は暗黒時代に突入。これ以上、彼らを利用されないようにと逃げてくる。逃げのびた先が「月」なのである。
 1000年前から地球を見続けてきたルカは、衛星「ナヨタケ」に映ってしまったことをきっかけに、憧れていた地球へ、のび太のクラスに転校生としてやってくる。
 転校初日の帰り、ルカを気に掛けた出木杉君が尋ねる。
「転校初日はどうだった?」
 ルカは楽しいと答える。それから一つ質問する。
「月に、生き物はいると思う?」
「うーん、いたらロマンチックだけど、難しいんじゃないかな」
 寂しげな顔をするルカに聞こえてくる声。
 のび太ジャイアンスネ夫にいじめられている。
「月に兎なんているわけないだろ」
「いるよ! 絶対いる! あとで泣きついてきてもしらないからな!」
 ルカはのび太をじっと見つめる。
(あの子なら……)
 人は信じてくれる人を信じる。

 ルカたちについては、小説の方が詳しく語られている。
 彼らは子どもの容姿で成長を止めるが、感性も心も子どものままなのだ。おまけに記憶も薄まらない。
 記憶が薄まらない、忘れられないという脳を持つ人が現実にもいるのだという。脳の構造の問題で、昨日の出来事も、十年前の出来事も、同等に鮮やかに覚えている。そんな脳を持つ人の中には、人との関り一切断っている方もいると。人と関わり傷ついたり嫌なことがあれば、それを忘れることができずにずっと苦しみ続けなければならないから、関りを持たないで自分を守る。忘れないということは、いいことばかりではない。
 ルカたちも忘れない。命にも限りがない。かぐや星で軍事利用されたことも、そのせいで自分たちを作ってくれた科学者――両親と離れ離れになったことも、帰る場所も行く場所もなく仮宿のようにして1,000年間月に暮らしてきた日々のことも、決して鈍らない鋭敏な感性で思い出し続ける。不安と寂しさと恐怖の中で、永遠を生きねばならない。その変化のない孤独に、のび太という友だちが現れた。

 もうこれは、恋愛とかではないけれど、私にとってはおおむね理想的なボーイミーツガールのストーリーだった。ひと夏の冒険。大人になる前の禊。そんなワードが好きな人にはたまらない。
 物語のラストがまた素晴らしい。子どもに対して子どもだとなめていない大人が作った作品だなという感じがした。


 今週もう一度見に行く予定。


 あと、なんといっても小説版の装丁が!
 とても凝っていてドラえもん愛を感じた。あれはハードカバーで買わざるを得ない(笑)