進撃の巨人感想

今更ながらにはまってしまって、現在アニメを見ています。

この作品は、群像劇というものにカテゴライズされるのだろう。
様々な人が、様々な事情で行動し、残酷で、でも、美しい世界を懸命に生きている物語である。

個々のバックボーンが判明していくにつれ、その人物がそうしてしまう気持ちがわかってくる。わかってしまうと易々と何かを述べることは難しいなと感じていく。
それは読者である私だけではなくて、作中の人物たちにも起きる。
彼らは、わかってしまったがゆえに相手を責めることへの複雑な心情を持ち、とはいえ、だからといって何もしないわけにはいかないから、相手を害する行為につながったりする。
わかっているよ、あなたの事情は。私があなたの立場だったら、あなたと同じことをする。でも、私はあなたの立場ではないから、私の立場であなたを否定するしかない。みたいなことが起きてしまう。
相手を悪と思っていれば、責めることはそれほど難しくない。正義という後ろ盾は強靭だ。悪い奴は叩いてもいい、そのようなこと、別にこの漫画の中だけではなく、現実にたくさん起きていることが証明している。
だが、相手は悪くないとわかっていたら? それでも相手を攻撃しなければならないとしたら? 自身を苛むだろう。

登場人物たちは、多かれ少なかれ、そのような行為を実行する。
みんながそれぞれに天秤秤を持っていて、より大事な方に針を傾けて、浮き上がった方を捨てる選択を迫られる。
全部は救えないから、捨てるべきものを選ぶ。
捨てるべきものを選ぶというのは、捨てるべきものの存在をきちんと認識しているということだ。ただ、救いたい方だけも盲目的に見て、他には目をつぶっているわけではない。捨てるもの、それを踏みにじることを理解しているということだ。そこに、この作品の残酷さがある。
たとえばエレンが、ミカサやアルミンたちだけが大事で、お前たちの幸せだけを願っているのだと、その部分だけに焦点を絞るような描かれ方をしていたら、もっと読後感は違っていただろう。ファンタジー作品として、エンターテインメントとして、そういうケースもあるよね、と受けとめるだけだったように思う。
だが、この作品は、捨てるもの、捨てたものがどういうものかをこれでもかと重厚に描いているため、守られなかったものたちのことを考えずにはいられないのだ。そして、それを把握した上で、踏みつけるという選択をした、その心情がいかなるものか。圧倒されてしまうのだ。
全部選びたかった。何も捨てたくはなかった。でも、それは許されない。選ばなければ。そうでないと大切なものが守れない。

言葉もないわ。

どうしようもなかったと、他に選択肢はなかったと、それがわかってしまうだけに、それを見せつけられてどうしたらいいのかわからない。
ただ、もう、受け入れるしかないのでしょうね。
彼らの選択を、どうしようもなかった事実を、この残酷で、でも、美しい世界を。


まだアニメは最終回を迎えてませんが、迎えたらまた書きます。