センセイの鞄

 川上弘美さんの「センセイの鞄」読みました。
 以下、感想です。内容に触れているのでネタバレお嫌いな方はご注意ください。

 

センセイの鞄」 
 この作品は、高校のセンセイとその教え子月子さんの恋物語である。
 とはいえ、センセイと学生の禁断の恋ではなくて、月子さんはとっくに学校を卒業し、中年に差し掛かろうとしているし、30歳年上のセンセイは初老の男性である。禁断要素はちっともない。それどころか恋愛という印象そのものが薄く(短編連作の形なので、最後の方はちょっと恋愛色が強くなるとはいえ)、のんびりとした速度で物語が進む。
 センセイと関わるときの、月子さんが、だんだんと子どものようになっていく姿が好印象だ。恋は自立した大人がするものではなく、自分の純粋な欲求でするものだというような。
 ただ、好きである。
 10代の頃のそれと、大人になってからのそれは、少し趣が違う。
 10代の頃のそれは、未来という迫りくる、輝かしくも重たい未知の世界を投げ打ち、狭い世界の中で出会った目の前のその人だけを後生大事にしようとする頑ななほどの純度である。あなた以外何もいらない、という、世界であなただけが大事、という。相手にもそれを望む。世界に二人きり。そんなわけないのだけれど。ええ、そんなわけ、全然ない。だけどそれが刹那的なものだとは到底信じられない、本気で世界の中からたった一つを選んだと思っているあの感じ。
 一方で、大人になったときに巡りくる、ただ、もう、好きである、はあらゆる出来事の中で、生活というものに地に足を付けた中で、この人とどうこうなるとかいうのはまぁ無理かもしれないなぁと関係性の限界を理解した上で、他にもさまざま大事なものはあることを知った上で、相手にも同様に相手の世界があると分かった上で、諦めと共に告げる。世界は広く、いろんな人がいて、それでもどうしてもなのだから仕方ないと受け入れる。そのなんと潔いことか。
 自分の気持ちと、相手の気持ちが、同じ方向を向いていなくても、この人が好きで、こうやって関わっていけたらいいのだ。この人が他の人と仲良くしてる姿は嫌だけどもさ、でもそんなことで駄々こねたりしません。ちょっと意地悪いっちゃうかもだけど。少し、つん、としちゃうかもだけど。でも、あなたは、そんなの気にしていないのか気にしないようにしているのか、次に会ったらいつも通りに振舞ってくれるから、私はあなたをただ、もう、好きである。あと少し若ければ、そんな曖昧なはっきりしない男はやめておけ、となっていたのかもしれないが、自分がそのような子どもっぽい態度をとれることがもどかしいながらも好ましいのだ。だって、どうこうなりたいとかじゃないのだもの。ただ、好きなのだ。
 途中、月子さんは同世代の男性とお付き合いできる状況になったりもするのだが、でもそれではだめなのだ。月子さんをこんなにも子どもに、自由に、素直にしてくれるのはセンセイなのだ。
 自分が素直に、本当に素直に、子どもになれる、そんなセンセイとのやりとりは、とてもかわいらしくいじらしい。
 ただ、最後から3,4話あたりから、恋愛色がぐっと濃くなっていくので、ちょっとばかりどきっとした。これはやはり大人同士の恋愛なのだな、と急にぐぐぐっとつやっぽさが増すので、ご注意くだされたし。
 話は変わるけれど、以前に読んだ作品で先生のことを「せんせ。」と表記しているのがあって、その表現方法がとてもかわいらしかったのを思い出した。彼女も「せんせ。」のことが好きだったのですが、月子さんも先生のことは、センセイ、なのですよ。それがもうね。恋なのですよ。