祈りの幕が下りる時

 東野圭吾さん原作の「祈りの幕が下りる時」の映画観ました。
 とにかく松嶋菜々子さんという女優さんの目の演技の凄みに圧倒されて、この方は本当に素晴らしい女優さんだなと感服したのですけれど。
 物語に仕組まれた伏線にも脱帽して、一度見終わって、全容がわかってから連続で二回目見ました。

 

以下、ネタバレ感想になります。

 

 

 

 「祈りの幕が下りる時

 この作品は前述した通り東野圭吾さんの加賀恭一郎シリーズの最終となるものである。
 加賀刑事の過去にまつわる部分がストーリーに関わってくるので(その部分に関してもある程度の説明は当作品中にもあるのだが)より理解するために少し書きます。
 書きますと言っても、ドラマ版と映画第一弾となる「麒麟の翼」を見ただけで原作は読んでいないこと、また記憶をたどって書いているので差異があるかもしれないことをご了承ください。

 

加賀恭一郎
 父親は刑事、母親は10歳の時に蒸発。加賀はそれを仕事ばかりして家庭を顧みなかった父のせいだと責めて父子関係はよろしくない。だが、大人になり父と同じ刑事の職に就く。
 ドラマ版では蒸発した母親は死亡したことがわかっている。また父親は末期がんで余命いくばくもなく、「あいつ(母親)は死ぬ間際にお前(恭一郎)に会いたかったに違いない。あいつが蒸発したのは自分に責任がある。だから、自分も孤独に死んでいく」と恭一郎に告げ、見舞いに来るなときつく言い聞かせる。恭一郎は父親に複雑な気持ちを抱きながら、母親のことで恨みもあり、その言いつけを守り見舞いにはいかない。やがて父親は死亡する。
 息子を不器用にしか愛せない父親と、父親に素直になれない息子との確執が、ドラマ版では語られていくのだが……当該映画では父子関係ではなく、母親が何故蒸発したのかということに触れられていく。(この部分についてはずっと触れられなかった、加賀シリーズの最大の謎ともいえる) 

 

 これが前提である。加賀恭一郎シリーズは彼が事件を解決していく刑事ものではあるのだが、以下は、当該作品のキーパーソンである浅居博美を軸にして事件を語る(以下、相当のネタバレになります)

 


浅居博美
 当作品のキーパーソン。元女優で、現在は演出家。
 中学生の頃、母親が男を作り蒸発。その際に父親の実印を持ち出して闇金融などから多額の借金をしている。借金取りが家に押し寄せてきて学校にも通えなくなる。その後、父親は近所のビルから飛び降り自殺。養護施設に入る。
 これが表向きの彼女の生い立ちである。
 だが実際には違う。母親が多額の借金をした後、父娘で夜逃げし逃避行生活へ突入する。そんな生活が長く続くはずもなく、能登の町にて父親が自殺をしようと覚悟を決める(自分が死ねば娘は養護施設に入り屋根のある場所で眠れ、衣食住の心配がいらない生活ができるから)。最後だからとたっぷりの夕食や豪華な旅館に泊まる父に、当然博美は不信感を抱き、こんなところに泊まれるお金があるのかと尋ねる。父親は「お金のことはもう心配しなくてよくなった」と笑う。どういうことか? そんなこと信じられるはずがない。父が温泉に入りに行っている間に、財布の中身を確認する。案の定、空っぽである。もうこれは自殺しようとしているに違いないと確信する。お金があれば……そう思った博美は、夕食をとるために入った食堂で出会った男のことを思い出す。いやらしい目で博美を見ていたあの男。父が会計をしに奥にいっている時に近寄ってきて「お小遣いがほしければ、今晩オレのところにおいで」。無論、博美もそれが何を意味するか理解はしている。背に腹は代えられない。お金が必要だった。博美は覚悟を決めて男が寝泊まりしているボックスカーを訪ねる。まだ戸惑いのある博美を車に引きずり込む男……。
 博美がいないことに気づいた父親は探しに来る。両手を血に濡らして錯乱している博美を発見。襲われる最中に抵抗し傍にあった箸で男の首を突き刺し殺害してしまったのだ。このままでは博美の人生が壊れる。父親は博美に自殺を考えていたことを打ち明け、だがそれをやめて殺害した男に成り代わって生きることを告げる。男の死体は父親の服を着せ、父親として自殺したことにする。遺体が発見されたら博美に身元確認するよう警察がくるだろう。父親だと証言するように言う。その後、博美は養護施設に入ることになるが、それは父親が自殺することで得られるものである。博美は父親と離れるのが嫌だと泣くが、他に道はない。
「手紙を書くから。お前はマッチとキョンキョンが好きだから、近藤今日子って名前で書くから」
 月日は流れ、博美は演出家として有名になった。あこがれの舞台明治座での公演も決まった。
 父親とはひっそりと会っている。目立たないように、バレないように。だが、今回ばかりは博美の夢である明治座公演である。父親は舞台を見に行く。ここで再びの不幸が起きる。
 不幸の引き金は、またしても蒸発した母親である。
 滋賀の老人ホームで身元不明(本人が頑として口を割らない)の女性が骨折して入院してくる。病院はとりあえず怪我が治るまでは面倒をみると譲歩したが、女性はその後も居座り続け、迷惑している。ホームにたまたま清掃業者の営業としてきた押谷がその女性を見て、「あれ? 博美ちゃんのお母さん?」と気が付く。押谷は博美の中学の同級生だったのだ。ホームの職員はこれ幸いと押谷に博美と連絡をとってくれるよう頼む。押谷は芝居好きで、演出家となった博美のことも知っていたが、博美が借金取りや父親の自殺のごたごたで急にいなくなってから会っていない。そんな自分が会いに行っても迷惑だろうと遠慮していたが、母親のことで会いに行く口実ができたと東京に向かう。そこで博美の父親を目撃し、びっくりしながらも声をかけるのだ。
 父親は自分の正体が公になれば博美の未来が断たれると押谷を自分のアパートに招いて絞殺する。その後、すべての罪を葬るために自殺しようとするが……再びそれを博美に見抜かれ止められる。父親は、そこで博美も知らなかったもう一つの殺人、博美の元担任である苗村にも生きていることがバレ殺害していることを告白。26年逃げ続けて、もう疲れた。博美のためにも、そして自分自身のためにも死を望む父親を止めきれないと悟った博美。
 父親が選んだ自殺方法は焼身自殺。自分は死んだことになっている身である。顔や指紋が残るような死に方はできない。灯油を頭からかぶる父の姿を見つめていると、ふとかつて父親が漏らした「焼身自殺なんて考えただけでもぞっとする。お父ちゃんならもっと別の方法で自殺する」という言葉を思い出す。博美はもうどうしようもないのなら、せめて別の死に方を……と父親を絞殺することを決める。博美の意図を理解した父親は身を任せる。父親が絶命して後、博美は遺体に火をつける……。

 この父娘の悲劇の人生に、加賀の蒸発した母親・百合子がどう絡んでくるのか。
 百合子は蒸発した先の小さな港町で、スナックに勤めている。そこのお客さんとしてやってきた父親と内縁関係になっていたのである。


 とまぁ、物語の中心核となり部分と、複雑な人間関係を、私はこの記事でできるだけわかりやすく綴ろうとしたのだが。わかりやすく書いた結果、なーんだ物珍しいストーリーではないじゃんと思われるかもしれない。殺害した相手に成り代わる。それがバレてさらに罪を重ねる。確かに、あるあると言ってもよい。でも、映画を見ていただければわかるが、すさまじい構成力によって事件の真実、登場人物の関係を、二転、三転、させながら、え? どうなるの? と思わせる。事件の筋書きが全く分からない刑事側の視点で、どんな風に描かれるのか。これ、めちゃくちゃ凄いので実際に見てほしいです。
 私は1回目を見て、すぐに2回目を見た。全部が分かった上で、どのように「わかりにくくしているか」というのに注目して見た。そして、このわかりにくさを考えることがどれほど難しいか。私は自分が文章を書くとき、わかりやすく伝えることがいかに難しいかを痛感することはあるが、これはその真逆、より複雑に混乱させるように書きながらも最終的にはそうだったのかと納得させて書くわけで、それがどれほど高度なことなのか。ひぇ~となりつつも、感動した。
 構成力ってこういうことなんだなと。

 あと、細かい伏線とか台詞回しの妙とかもあるのだけれど、力尽きたのでここで終わります。さんざんネタバレしちゃったけど、分かった上で見ても十分楽しめる底力のある作品なので、是非ご覧ください。

 ちなみに私が注目していただきたいのは、松嶋菜々子さん初登場シーンで舞台から聞こえてくる台詞。あれ、注意して聞いてほしいです。観終わった後、うわわわわわあってなる。お見事。圧巻でした。